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日常の風景 NO.0283
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露天風呂の花火
浴室のドアを開けた途端、目の前には広々とした海が一面に広がっていた。
もちろん、海と浴槽との間にはガラスがはめ込まれているのだが、
幅広で高々とした大きなガラスは、海からのひかりを充分に取り込み、
ガラスの存在をあまり意識させない。
同時に30人ぐらいは入れそうな大浴場は、
1階が男性用、2階が女性用にしつらえられていて、吹き抜けになっているから、
空間がよけいに広く感じられるのである。
いまはまだ昼の3時。
もちろんわたしが温泉の一番客で、たったひとりの客である。
温泉に浸かり海を背にして風呂場を眺めると、
ずらりと並んだ洗い場にはプラスチックの椅子が整然と置かれ、
その上には洗面器が、椅子の中心にきちんとうつぶせてある。
シャンプーやリンスなどの備品も、測ったような正確さで等間隔に置かれていた。
お客をもてなす、温泉で働く人の心意気のようなものが、
鮮やかに整理された浴室から伝わってくる。
よく磨かれた円い鏡に青空が、海が、波が写ってとても気分がいい。
海の潮風が内湯の中にまで吹き込んでくるようである。
こんな気分をしみじみ味わえるのは、一番客だけ。
露天風呂から望む海は、正確に言えば湾である。柴山潟という名前がついている。
露天風呂の左手には片山津温泉のシンボルでもある浮御堂がすぐ近くに見える。
浴衣姿の女性もふたりほど見える。
浮御堂からこちらを見ても露天風呂に入っている裸体の男性は
好ましい風景の一部として自然に溶け込んでいるのだろう。
見物し、見物される。いい関係である。
一時期さびれ切っていた片山津温泉は、最近では様変わりしてかなり盛り返している。
夏の間毎夜花火が打ち上げられるのだ。
その花火打ち上げ用の筏が、露天風呂の真正面に浮かんでいた。
9時からの花火は、この露天風呂から見物しようとそのときに決めた。
夕食後ほろ酔い機嫌で散策した夏祭りの夜店や、加賀太鼓のリズムにも未練はあったが、
わたしは予定通り、花火を見るために早めにホテルに戻った。
打ち上げの10分ほど前に露天風呂に出かけたが、
意外なことにこの特等席もわたしひとりの占有だった。
打ち明け前のひととき、暇だからわたしはこれから始まる花火の表現を考えていた。
夜空に打ちあがる花火、それが海面にも映って、千々に細かく砕けて、
夜空の花火と海面の花火と、その華やかで幻想的な時空を書くのを楽しみにしていた。
ところがである。花火が始まってみると、場所が近すぎて、海面には映らないのである。
温泉の温度が高すぎるのか、塩分が濃い温泉なので、醒めにくいのか、とにかく上せ気味になる。
でもそれはそれ、印象的でコンパクトな花火大会ではありました。
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sceneryの風景
普段の会話というのは、瞬間瞬間に消えてゆく雪の結晶のようなもので、
論理的でもなければ、体系的でもない。
矛盾があっても、その場の雰囲気さえ壊さなければ、誰も気にしないしすぐに忘れる。
だが、いくら飲みながらの雑談とはいえ、それを文章にするとなると、
いわば結晶が標本として記録されてしまうようなものになる。
文章にすることの難しさでもあるし、面白味もそれである。
前号に以下のことを書いたら、本人から訂正のメールが来ましたので、
本人の了解を取って、そのメールをそのまま載せます。
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最近、新聞記者のベテランと話す機会があった。
新聞記事というは事実を客観的に正確に伝えるのが使命である。
自分の主観が述べられるのは、社説とかコラムとか、
ごく一部に限られている。
それでも新聞記事には、記者の主観が織り込まれているのだという。
記者がどのような事実をピックアップするかということが、
記者の主観になる。
書かれることは、形容詞や装飾語を極力排除した客観的な文章であっても、
多くの事実の中で、この事実を記者が取り上げるということが、
記者の主観であるというのである。
今回の地震とか原発事故でも、多くの記者が客観的な事実を通じて、
自分の主観を織り込んでいる。
わたしも文書を愛するひとりとして、非常に参考になる意見であった。
わたしの様々な日常。
どこかの瞬間的な部分を切り取ったというだけで主観が入っている。
だから事実を描写するだけで説明はいらない。
わかっているが、できない。そこが文章の難しさだと思う。
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新聞記者の事実のピックアップは、個人の主観(感想・感性・感情・利害)によるのではなく、
プロの記者としてのニュースセンスにより取捨選択されています。
ニュースセンスは、記者がデスクに怒鳴られつつ、読者からの相次ぐ抗議や脅迫に耐えつつ、
記者としての生涯をかけて磨くもので、いわゆる「主観」という言葉のニュアンスとは違います。
いわゆる主観が新聞紙面を埋めれば、おのずからその新聞は信用を失い、
ジャーナリズムとして存続できなくなります。
新聞社をジャーナリズムから締め出すような、思い込みの記事を書く
「主観報道記者」はただちにクビになります。
あざやかな「主観」を持つ記者は、
例えば第二の飯干晃一(元読売記者=代表作「日本の首領ドン」)、
司馬遼太郎(元産経記者=同「竜馬がゆく」)にはなるかもしれませんが。
記者個人の主観は、ニュースセンスとは別物で、
記事校了後、深夜の飲み屋などで吐露されるものです。
新聞は客観報道が原則で、「客観」とはニュースセンスのものさし・フィルターを通すということ。
「犬が人をかんでも、ニュースではない。人が犬をかんだらニュース」ということです。
ただ、「ニュースになるために、人が犬をかむ」のは、ニュースではありません。
ニュースになるために、人が犬をかんだのでないことを裏取りし、
なぜ人が犬をかんだを調べたうえで、記事にすることが、ニュースセンスに裏付けられた客観報道です。
個人の思いこみ、思い入れとはまったく異なり、記者の感性に訴えた事実を、なぜ報じるべきか、
ライターが、デスクが検証します。検証の末、没になる原稿のいかに多いことか。
冒頭の風景で、「新聞記事に記者の主観が織り込まれている」といったのが私であれば以下の通り訂正します。
「新聞記事には記者のニュースセンスが織り込まれている」
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以上本人のメールで主観記事に関するわたしの訂正ともさせていただきます。
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発行者 scenery
north@arion.ocn.ne.jp
HP 日常の風景
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