美里町の見どころ

  各番号は美里町案内地図と同じです

 ①長野城跡  ②義犬塚  ③トンネル  ④ウインドパーク
 ⑤西、中、東の城  ⑥長野宿  ⑦目なし地蔵  美里水源の森
 ⑨家所城跡  ⑩ジャンボ干支  ⑪柳谷の貝石山  ⑫五百野皇女
 ⑬立岩  ⑭智永寺    
  
                                  詳細は各項目をクリックして御覧下さい。
   ①長野城跡
高さ540mの山頂を利用して築かれました。山頂からは津の町や伊勢湾が望め、城跡の周囲は急斜面が続き、天然の要塞になっています。        
 
 ②義犬塚

新長野トンネルの近くにお堂が建っています。
犬が自らの命と引き替えに主人を助けた話が残っています。 
  
 
 ③トンネル
長野峠は時代の変遷と共に3つのトンネルがあります。
明治、昭和、平成と時代の変化による交通の為に造り替えられました。
明治のトンネルは荷車程度の交通、昭和のトンネルは大型の車がすれ違うことが出来ず、現在の平成のトンネルが造られました。
 
④ウインドパーク
ウインドパーク美里は2006年2月に運転を開始しました。㈱シーテック風力発電部の風力発電施設です。
スペイン製の2,000kWの風車8基が稼動しています。風車の直径は80m、風車のタワーの高さが60mです。
   ⑤西、中、東の城 
西の城(経塚)は標高260m、中の城(タモノキ山)は標高220m、東の城(城山)は標高200mあり、階段状の台状地・堀切・土塁などがよく残っています。
ガイド会が道を整備しています。
   ⑥長野宿
伊賀街道長野宿には、延焼を防ぐ「日除の土手」も残されています。
藤堂高虎は津城と伊賀上野城を結ぶ全長45、3kmの伊賀街道を官道として整備しました。この街道には、片田、長野、平松、平田の4つの宿場が置かれました。伊賀街道は伊勢から奈良、京都へ水産物が運ばれ、伊賀からは種油、綿などが運ばれました。
宿場町の町並みを火災の延焼から守る高さ約4mの火除けの土手が、今は一部残っています。
    ⑦目なし地蔵
北長野細野の奥にあります。
眼病に効くと言われる水が山から出ています。
毎月24日には例祭が、4月7月には大祭が行われます。
   ⑧美里水源の森
津市美里町南長野栃谷地内にあります。
次のような活用をめざしています。
1.森に親しむ学習 2.森づくり体験学習 3.森の利用学習 4.自然と親しむ仕事「林業等」の魅力学習                            
   ⑨家所城跡
空堀や土塁が良好な状態で保存され、山の頂上は広く平になっています。
つぶてに使った石が固まっておいてある様子を見ることが出来ます。
 
   ⑩ジャンボ干支
辰水神社の「ジャンボ干支」は、昭和61年から「ふるさと愛好会」が製作してきました。
今年で39年目、お正月にはこの巨大干支を見ようと遠くから参拝者が訪れます。
美里地域や津の町で、今までに作った作品が飾られているのを見ることも出来ます。
   ⑪柳谷の貝石山
この三郷地区は昔の海岸線であったことから、この柳谷など各所で貝化石を大量に含む地層が露出しています。貝がびっしりと詰まった地層が、山の中などに露出しています。ここが波静かな入り江で、大量の貝殻が泥と一緒に上に上に重なっていったという当時の様子が良くわかります。美里ふるさと資料館および美里文化センターのロビーに展示されています。
   ⑫五百野皇女
五百野皇女は、12代景行天皇の皇女で、斎王として伊勢に派遣された後、任を終えて都に帰る途中に、美里町五百野で病に倒れて亡くなり、この地に埋葬されたことから、皇女の名を取り、この地を五百野と呼ぶようになったという伝承上の人物です。また美里町五百野の高宮神社は、五百野皇女を祀る神社として知られています。
 
 ⑬立岩
この岩は、長野峠から伊賀街道に沿って流れる長野川に架かる立岩橋の下にあります。大きな岩が、横から見ると「人」の字のように折り重なっています。この岩の西面に、宝篋印塔(ほうきょういんとう)が刻まれており珍しいものです。

   ⑭智永寺
天台真盛宗に属し、津市美里町大字北長野の細野集落にある寺院です。由緒書によれば、長野家十代政藤の妹光子(法名智永尼)が開いたとあります。長野家代々の菩提寺であり、位牌が納められているとのことです。






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