元文元年(1736)津の鋳物師辻越後種茂が37歳の時に作った。
当時、武家屋敷の中大手町(現在の東鷹跡町)にあり、時を知らせる鐘として使われていた。
寛政元年(1789)に今の位置に移され、しばらく火事を知らせる鐘となった。
町の人は度々、奉行所へ復活するように願い出た。
寛政9年(1797)時を知らせる鐘として再び撞かれるようになった。
昭和16年〜20年(1941〜1945)太平洋戦争の末期に、戦況悪化により、政府が声明した武器生産に必要な
金属資源の不足を補うための”金属供出”により、この鐘も出された。
しかし、運よく町の人々によって発見され引き戻された。
昭和34年(1959)伊勢湾台風の際、鐘堂ともに崩れたが、鐘は幸運にも無傷のままであった。
現在、大晦日に除夜の鐘撞きが行われ、地域の宝として大事に守られている。
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