白鬚岳

【日 時】1999年 4月17日(土)
【天 候】
【山 名】白鬚岳(1378m)
【山 域】奈良
【ルート】 (8:30)自宅==
(12:30)登山口--(14:30)小白鬚岳--(15:30)白鬚岳--(17:30)登山口==
(21:00)自宅
【所要時間】 5時間00分
【メンバー 】単独

日曜日は試験のため、今週の山行は土曜に限られる。天気予報では土曜はよいが日曜日は完全な雨との予想であった。一日山行のため、独立峰で少しボリュームのある山ということで大台山系の白鬚岳に出かけることにした。8:30自宅発。23号線・1号線(亀山)・25号線(上野)・368号線(名張)・165号線(榛原)・菟田野・東吉野を通って順調に169号線に入る。ここから暫くクネクネした谷底の道路を覚悟していたが、川底から遥か上部に立派な道路ができていた。以前から建設していたダムが完成間近かのようである。予想される喫水線までの刈り込みや、護岸のコンクリート処理がされていた。以前来たときは道の駅「杉の湯」は国道から少し入りこむ必要があったが、今はその前を国道が通った。この地域の人には待ちに待った道路の完成かもしれない。

柏木に着き、赤い橋を渡り右折する。金剛寺の標識を右に見て峠を越えた最初の谷の橋が東谷出会である。車一台ほどの幅の林道を進む。林道終点は車が切り返せる程度に開かれている。杉林の中である。

出発。谷沿の杉林の道であるが、過不足なくテープがある。飲み水用の水道筒を補強している橋がもろい。植林の中に大きな一本の自然木がある所で潰れた小屋あり。細い滝を左に捲くが、このルート唯一の水場がある。滝を高捲くと崩れたザレ場を通過する。下方に倒壊した小屋がある。谷の水も枯れる辺りから急登となる。間伐の行き届いた高さ20m程の吉野杉の間を縫っていく。所々倒木もあるが、人の手の十分入った植林帯で真っ直ぐに伸びた吉野杉が気持ちよい。

急坂を登り稜線に出ると神之谷からの道と出会う。杉から桧に植林相が変わる。稜線沿いの道となり植林帯からヒメシャラの混じる明るい自然林となる。地図に紹介のある山の神の祠は確認する余裕はなかった。北側が切り開かれ、切り株の座り台もある小白鬚岳の山頂に着く。前方にピラミダルな山容の白鬚岳が目に飛び込んでくる。すぐにでも着けそうな距離に感じるが、地図を見ると1時間程度はかかりそうだ。重厚な白屋岳、薊岳から明神岳への稜線も望まれる。一本立てる。

小白鬚岳に雨具等をデポし白鬚岳へ向かう。痩せた尾根の混じるアップダウンの道となるが、荷物を軽くしたので気持ちよく通過する。二組の登山者と出会う。山頂前のピークからの眺望が最もよさそうである。

この山は眺望に関してはあまりよくないとの案内があったが、私の思い入れもあるが、どうしてどうしてなかなかの展望の山である。大台ヶ原・高見山山系・大峰北部のど真ん中に位置する独立峰で、回転舞台の中央から廻りを眺める図になる。西・北・南の眺望が素晴らしく、東側も20mも倒木の中を進めば明神から大台に至る稜線が望まれる。この眺望の中で私が登った山は日の出・池小屋・白屋・明神・大普賢である。それぞれに思い出深い山々である。倒木の中で足元を見れば、少し古いが沢山の鹿のフンが落ちていた。

二等三角点があり、その横にそれよりはるかに立派な石柱があった。彫られた字を読んでみると、 

 白鬚岳
 今西錦司先生1500山目の山
 「一山一峯に偏らず。 一覚一私に偏らず。」錦司
 ・・新宮山彦会 

と書かれていた。今西錦司氏については、進化論や類人猿の研究と京大時代は海外の山で活躍され京都北山などにも造詣が深く、岐阜大の学長となられ岐阜のヤブ山を歩いておられたことを知っているくらいである。著書については「自然と山と」を読んだのみである。他に氏が書いた山の著作物があれば読んでみたいと思っている。

帰路は同じ道をとり、車の所に戻る。東谷の出会いに20cmくらいの水溜まりがあった。夥しい数の小さな黒く蠢く(うごめく)ものがあった。覗きこむと「おたまじゃくし」であった。予想通り登山者も少なく静かな山を楽しめた。



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