曲  の  紹  介

オリジナル「An insect & sons (voice)」
MIDIデータ M. HatTarsakey







 続いては、1998年(平成10年)3月22日(日)に、このホームページを開設したことに因んで、古今東西の3月22日に起きた出来事を拾い集めてみました。







出歯亀事件


 1908年(明治41年)3月22日


 東京・西大久保で銭湯帰りの女性が暴行されて殺されました。犯人は「池田亀太郎」24歳で、3月31日に逮捕されました。この男は覗きの常習者で、事件当日も銭湯を覗き、その後、被害者を尾行して犯行に及んだものです。犯人のあだ名から「出歯亀」の流行語が生まれ、覗き見する者という意味であったり、好色な男性を指して軽蔑する言葉になりました。




日本初のラジオ放送


 1925年(大正14年)3月22日


 「JOAK、こちらは東京放送局であります。」――3月1日に実験局として開局していたNHKが、日本初のラジオ仮放送を行いました。場所は、東京・芝浦の東京高等工芸学校に設けた東京放送局の仮スタジオでした。7月12日には本放送を開始しています。
 これに因んで、1943年(昭和18年)に3月22日を「放送記念日」と制定されました。




大橋巨泉の誕生日


 1934年(昭和9年)3月22日


 人気テレビ番組の司会を務め、また多才な人物として知られている大橋巨泉(おおはし きょせん)がこの日に生まれています。
 東京都墨田区出身。早稲田大学政治経済学部新聞学科中退、その後、ジャズ評論家、放送作家を経て、1966年(昭和41年)から、テレビ番組「11PM(イレブンピーエム)」に出演します。その後、「巨泉× 前武 ゲバゲバ90分」「お笑い頭の体操」「クイズダービー」「世界まるごとHOWマッチ」「こんなものいらない!?」などの司会を務めました。出演者を呼び捨てする独特の口調で、自己主張するタレント司会者の先駆けと言われました。
 1990年(平成2年)には、テレビ業界から身を引き、アメリカのシアトルに「オーケーギフトショップ」を開店して実業家に転進しました。また、民主党から参議院議員選挙の比例代表候補として立候補して、当選しましたが、党との意見の違いにより早々に辞職しています。
 2016年7月12日、急性呼吸不全のため、千葉県内の病院で亡くなりました。82歳でした。




ビートルズ初のアルバム「プリーズ・プリーズ・ミー」発売


 1963年(昭和38年)3月22日


 世界を熱狂させた1960年代を代表するロックバンド、ビートルズの最初のアルバム「プリーズ・プリーズ・ミー」が発売されました。このアルバムは、イギリスで3月22日にモノラル盤が、さらに翌月26日にステレオ盤が発売され、メロディ・メーカー誌で30週間、1位を独占しました。
 ビートルズはイギリス・リヴァプール出身で、そのメンバーは、ジョン・レノン(リズムギター)、ポール・マッカートニー(ベース)、ジョージ・ハリスン(リードギター)、リンゴ・スター(ドラムス)の4人。バンド名は、BEETLES(甲虫類の複数形)に音楽のBEATを加える意味でスペルを変えてBEATLESとしたものです。1962年10月にレコードデビューし、1970年4月に解散しました。




日本人初のエイズ患者認定


 1985年(昭和60年)3月22日


 この日、日本人で初めてのエイズ患者の認定が行われました。
 何とか薬害エイズを隠匿したい一心で塩川優一委員長率いる厚生省エイズ調査検討委員会はゲイのエイズ患者を捜していました。すなわち、エイズ患者認定の第1号を血友病患者から出したくないということなのです。第1号として、抜てきされたゲイの男性は、ニューヨークから一時帰国し、塩川優一が名誉教授として君臨する順天堂大学で受診したところエイズと診断されました。しかし、実際には、彼はエイズ患者ではなくてHIV感染者でした。参考までに、HIV感染者とは、HIVウイルスに感染しているけどエイズを発症していない人をいい、エイズ患者とは、HIVウイルスにより免疫力が低下し、エイズとみとめられる病気を発症した患者のことをいいます。
 その後、このゲイの男性は、長期生存者(ロングタイム・サバイバー)として長らえ、1995年(平成7年)秋に亡くなったそうですから誤診も甚だしいわけです。




世界水の日


 1993年(平成5年)3月22日


 1992年(平成4年)6月にブラジルで開催された「環境と開発に関する国連会議(UNCED)」において、21世紀に向けた行動計画である「アジェンダ21(持続可能な開発のための行動計画)」が採択されましたが、その第18章で「淡水資源の質と供給の保護」について定められるとともに「世界水の日」を制定するよう勧告がなされました。
 これを受けて、同年12月22日、第47回国連総会本会議において、1993年(平成5年)から毎年3月22日を「国連水の日(World Day for Water)」とすることが決議されました。
 この「国連水の日」が制定されたのは、近年の人口増加や経済活動の増加などにより、多くの国々において深刻な水不足や水質汚濁の問題が発生しており、淡水資源の安定供給の確保が大きな課題となっていることが背景にあります。
 この日には、水資源の開発・保全やアジェンダ21の勧告の実施に関して、会議、セミナー、博覧会などの開催や出版活動を行うことにより、人々の水に関する認識を高めるよう提唱されています。