マヌエル・マリア・ポンセ は、「メキシコ近代音楽の父」と讃えられ、メキシコでは今でも高い敬愛を受けています。
1882年12月にメキシコ中部のサカテカス州に生まれますが、生後まもなく一家はオーガスカリエンテへ転居しています。教養豊かな音楽好きの母親を持ち、音楽的才能に恵まれ幼少の頃からピアノに親しみました。
5歳で作曲をするなど早くから音楽的才能に恵まれ、教会オルガニスト、ピアノ教師、批評家とし活躍しました。
22歳の頃、メキシコ・シティへ出てメキシコ国立音楽院へ進んだ後、1904年自分のピアノを売って自費でヨーロッパへ渡ります。ボローニャとベルリンで学びました。
1908年に帰国し、翌年メキシコ音楽院でピアノ教師に就任しました。メキシコ民謡に強い関心を示し、それらを既存の音楽様式と融合させて、メキシコ国民楽派の開祖となります。
1915年からキューバへ渡って多くの作品を書きます。
1917年に帰国して結婚。メキシコ音楽院教授に就任後、メキシコ国立交響楽団の音楽監督にも就任しました。
1923年にギタリストのアンドレ・セゴビアと出会い、彼の依頼で「ソナタ・メキシカーナ」を作曲しました。これでヨーロッパで知られるようになった彼は、1929年再びフランスに渡り、1932年までパリ音楽院でポール・デュカに師事します。この当時の級友にはヴィラ=ロボスやロドリーゴがいます。深い薫陶を受け、後年はフランス印象主義に傾倒し近代的な書法を採り入れた作風をとるようになりました。
その後、1933年にメキシコへ帰国して、翌年にメキシコ国立音楽院の院長に就任します。「カルチュラ・ミュージカル」紙の編集委員も務めます。
1948年4月24日に尿毒症のため、死去します。
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