過去の活動状況 24.6.23 |
<美里町仏教会の皆さんが研修会を実施> 平成24年6月23日(土)美里仏教会の皆さんが、美里ふるさと資料館で研修会の後、長野城址・ 長野峠を見学されました。 研修会では、谷口さんが話をされました。内容については以下のとおりです。 「美里に見られる藤堂藩の足跡」について ○伊賀街道と長野宿 津に入府した藤堂高虎公は、伊賀上野城と津城を結ぶ街道を「伊賀街道」と名付けま した。伊賀と津とを往来するために、片田・長野・平松(阿波)・山田(平田)の4ヶ所に 宿場(宿駅)を設けました。長野の宿場には「火除け土手」が築かれ、火事が起きても、 宿場機能が失われないように配備されていました。 ○峠の茶屋 伊賀街道には峠の茶屋があり、「三軒茶屋」と呼ばれていたそうです。 ○長谷寺(片田長谷町)、馬頭観音像(福徳寺)、大乗寺 第1部 伊賀街道と長野峠 ○明治19年の長野隧道開通式の様子が、当時の伊勢新聞に伝えられています。 ○旧大山田村に伝わる「上阿波村地誌取調書」という書物に、長野隧道(明治のトンネル) に関する記述がある。長野隧道の伊賀側石額には「其功以裕」、伊勢側(美里側)石額 には「補造化」と書かれており、今は両方とも長野峠に設置されている。 第2部 長野氏の終焉 |