五先賢とは?

五先賢に学ぶ  努力・忍耐・創造

相応和尚

相応和尚(そうおう かしょう) 831~918年  

 比叡山の高僧。天長8年(831)北野町で生まれる。
比叡山千日回峰行の創始者。千日回峰行は、天台宗の聖地、中国・五台山の風習から創始した宗教界最難な荒行です。相応は「学問の裏には行(ぎょう)が、行の裏には学問の裏打ちが必要。車の両輪の如く両者共に学ばねば本当のものが自分のものにならぬ」として修業に励みました。
  また、菅原道真とは互いに学び、支え合う良き友でした。

海北友松

海北友松(かいほう ゆうしょう) 1533年~1615年 

 安土桃山時代の画家。天文2年(1533)瓜生町で生まれる。
狩野派について画を学びました。朝廷の御用をつとめ、また豊臣秀吉に仕えて聚楽第に多くの絵を描きました。見識高く、常に武将・貴族・禅僧らと親交し、禅・茶・歌の道にも深かったといいます。絵は鋭い気迫に満ち、豊かな感情のあらわれたもので、建仁寺の水墨襖絵と妙心寺金地彩色屏風が特に有名です。

片桐且元

片桐且元(かたぎり かつもと) 1556年~1615年 

 安土桃山時代の武将。弘治2年(1556)須賀谷町で生まれる。
秀吉に仕え、天正11年(1583)、賤ケ岳の戦いで抜群の功をたてた「七本槍」のひとりとして有名です。秀吉の死後は秀頼に仕え、豊臣家を救うために徳川家康と交渉するなど心血を注いで努力しましたが、かえって淀殿らに疑われて志は成りませんでした。豊臣家滅亡直後に世を去りました。

小堀遠州

小堀遠州(こぼり えんしゅう) 1579年~1647年 

 江戸時代の茶人・造園建築家。天正7年(1579)小堀町で生まれる。
多芸多彩の天才で、茶人としては千利休・古田織部と並んで三大茶人の一人に数えられます。徳川秀忠、家光の二代にわたり茶道師範をつとめ、遠州流の祖となりました。遠州の造園のなかでも、大徳寺・孤篷庵・桂離宮・二条城などは著名。小室藩主(小室町)となり、日照りで困っている農民のために田根の各所にため池を造りました。

小野湖山

小野湖山(おの こざん) 1814年~1910年

 明治時代の漢詩人。文化11年(1814)高畑町で生まれる。
本名は横山巻。通称は仙助。初め医学を学んだが転じて詩を学び、三河国(愛知県)吉田藩に仕えましたが、安政の大獄で幽閉されました。明治4年(1871)の廃藩置県後は悠々自適の生活を送り、詩人として活躍しました。維新の功によって従五位に叙せられました。「湖山楼詩鈔」「湖山老後詩」などの著書があります。明治16年(1883)に天皇陛下から硯をたまわりました。

五先賢の出生地