花 火

日本は季節の移り変わりが、肌で感じられる、世界でもまれな国のひとつである。
でも、この季節感、家のなかで、じっと待っていてもそれほど意識できるものでもない。
いつのまにか春が来て、夏が去り、秋になってしまっている。

季節感はふと感じるようなものではなく、積極的に外に出て、
意識的な感性で獲得していくという一面もあるのではないだろうか。

わたしにとって、夏の季節感が実感できる最大のものは、花火である。
今年は明石市で大きな事故が発生したので、純粋に花火を楽しむ気分にはなれないが、
それでも毎年8月1日に彦根市が開催する花火大会はそれなりの雰囲気を伝えてくれる。

成人した子供達はもう同行してくれなくなったが、
家内とは結婚して以来ずっと打ち上げ会場で一緒に見てきた。

「門松や、冥土の旅の、一里塚」という句があるが、
わたしにとって花火こそが一里塚という気分がある。
音がいい、ひかりがいい、華やかさが一里塚にふさわしい。

真っ暗闇の虚空からひかりが湧き出し、派手な軌跡を色とりどりに拡散し、
やがてまた一切が闇に消えて行く。
花火を哲学すれば人生そのもののような気もする。

「今年も花火が見られたね」
「来年はどうなっているんやろね」
家内との雑談のなかで毎年必ず織り込まれる会話である。

正月のおせち料理を前にして飲むビールより、
蚊を追い、汗をかき、花火を見上げながら飲むビールが、わたしには最高にうまい。
今年も一里塚を無事にあとにしたという安堵と喜びの乾杯をする。

わたしと家内は花火には妙に縁がある。
というのは、外国で花火を見る機会がこれまで三度もあった。

パリ祭のときに、エッフェル塔の前で見た花火、
カナダ、ビクトリアのブッチャードガーデンで見た花火。
シンガポールのセントサ島で見た花火。すべてが偶然だった。
花火が開催されることなどはまったく知らなかったのである。

でも外国で花火を見た経験からいうと、花火は日本のそれが、
美的にも、技術的に見ても最高だと思う。
日本人が見る花火は日本のが最高といった方が正確なのかもしれない。

総合的な光の演出という視点で考えれば、シンセサイザーの音楽を使い、
レザー光線を利用し、闇のキャンバスに自在に見事に創造して行くような
演出がある外国の花火の方が一枚も二枚も上手であろう。

だが、花火は日本の文化そのものである。
夏の情緒、余韻、せつなさ、はかなさのようなものは、
外国の花火ではけっして味わうことができない。

季節感も、日本の文化をないがしろにしては
充分にはなりたたないのではないかとわたしは思う。

わたしたちの夏は、花火だけではなく、「多賀の万燈祭」「木ノ本の地蔵盆」など、
できるだけ地域の祭や行事ごとには参加するようにしている。
参加とはいっても、まるっきりの野次馬根性で、
ぶらぶらと屋台の夜店を冷やかして帰るだけのことだが。

でも、この野次馬根性をなくすということは、好奇心をなくすということであり、
しいては、感性もなしくずしに鈍く磨耗していくということにほかならない。

わたしが大好きだった落語家の桂雀枝の口癖は
「緊張と緩和」だった。笑いも人生も、緊張と緩和。
言いかえれば、人生にメリハリをつけなさいということであろう。

会社人として現役のときには、それなりにメリハリが自動的につく。
だが、定年などで会社を離れたときに、
自分自身で意識的にメリハリをつけていくのはむずかしいと思う。

せめて、季節、季節の日本の文化的行事には積極的に参加して、
季節のメリハリとしたいものである。

今年の花火で印象に残ったことがひとつある。
わたしたちのとなりのシートに座っていた若い女性が、きれいな花火を見上げながら、
「あっ、わたしこの花火好きかもしんない」といった。

わたしはすぐに、なぜ、「わたし、この花火大好き」
というような素直な日本語にならないのだろうと、
こころの中でクレームをつけかけたが、
現代の若者はこのようなことば使いをする娘もいるんだと、妙に納得してしまった。

花火にでかける前に、友人に花火に行くんだと話すと、
「花火なんて、毎年いっしょのことや。混むし、暑いし、蚊はいるし、
わしは冷房の効いた部屋で、野球を見ながら、ビールを飲んでいる方がいい」
と馬鹿にされたが、わたしは、一里塚を実感できた上に、
「あっ、わたしこの花火好きかもしんない」という日本語が採取できただけでも
(採取という意味は、いつか、このシーンだけをとらえて、
現在の日本語を考えるような、随筆ぐらいは書けそうというぐらいの意味であるが)

いずれにしろ、わたしにとっては、大満足の花火大会だった。