百姓養成塾の概要や目標などを紹介します。

百姓養成塾とは

小阪の棚田

百姓養成塾 は、
「農業を教わる場所?」・・・ではありません。

「むらを次につなぐための運動」です。


日本中の「むら」には、つい数十年前まで、
自らの手足、経験と勘とを頼りに、身近な自然の恵みを利用して生きる
知恵と技とが詰まっていた。

生きる力にあふれた、つつましくもたくましいむら人たち…
敬意をこめて「お百姓さん」と呼びたい。

「自給自足」といってしまえばそれまでだけれど、何でもできるお百姓さん
ほど、「自分独りでは生きられない」ことをよくご存じのようだ。
身近な人々とつながりあい、生かしあう作法を自然と身につけ、
狭いむら社会のなか ほどほどに平和に、ほどほどに幸せに暮らしてきた。

現代の都会人がぶちあたっているさまざまな壁、乗り越えるヒントは
そんな「むら」、そんな「お百姓さん」にこそあるのでは。
けれど、「むら」も「お百姓さん」も、今や絶滅寸前…

大切なものをこのまま絶やしてしまうことなく、次につなぐために。
手段を選ばず、かたちにこだわらず、何でもやるのが百姓養成塾です。

目標

サンプル

○「むら」本来の姿を知るお年寄りが、自信と誇りとを取り戻し、
次につなごうと本気になること。

○「むら」を全く知らない若者たちが、その大切さを素朴に受け止め、
次につなごうと本気になること。

○(都会に住む人を含め)多くの人が、それぞれの立場から
自分にできることを模索し実行していく雰囲気が広がること。


    

背景

過去の大野  現在の大野

*(左)昭和初期の色川大野区・(右)現在の大野区

不便な熊野の山中にあって、住民の1/3 が移住者のむら、色川。
「成功事例」ともてはやされ、他地域からの視察も多い。

もちろん、30 年以上前から移住者を受け入れ続け、
おかげで今なお赤ちゃんが生まれ、学校も存続している。
地域の祭りも出役も、今や移住者なしには成り立たない。
移住者は地域の伝統を尊重しているし、地元住民も移住者に感謝している。

…それでもやはり、移住者は移住者。限界がある。
むらに暮らすうえで肝心なこと、むら人なら誰でも当然わかっていることを、
何年暮らしていてもびっくりするくらい知らなかったり、する。
大事な掟に気づかなかったり、悪気なく踏みにじったり、してしまう。

何もかも移住者が悪いわけではないけれど、ただ移住者が増えるだけで、
むらを本当の意味で守り次につないでいけるとは限らない。
一方で、いくら不便な陸の孤島でも、大きな社会の流れには逆らえない。
地域の人と人とのつながりは、(移住者の影響だけでなく)変わってきている。
周りのむら、周りのまちとのつながりも弱くなっている…

「むら」だからこそ、こんな今でもかろうじて残っている大切なものは何か、
どうしたら次につないでいけるのか、お年寄りも若者も一緒に考えたい。




    

運営体制

企画・運営スタッフ(代表および専従の事務局)が、
地元の有志と定期的に相談しながら事業を進めています。




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