
■山口池の記録
我がふる里は米処である。
そして、北側の谷に山口池があり8町ほどの田圃を潤している。
総合支所地域振興課にも尋ねたが、その台帳には「江戸時代」と書かれているだけで、いつ頃どのよう
にして造られたのかは不詳である。
土地改良事業は終わっているが、その水利管理は脈々と受益者によって守られている。
若いころその係に就いたが、18年ぶりにまたその役が回ってきた。
興味のない人には全くのうす汚い紙切れであるが、先祖さんの記録がある。
失くしてしまわないうちに記録にとどめておくことを思い立った。
いつ頃作成されたのか、何の目的で作られたものかは定かでない。
内容を見ると、懐かしい先祖さんの名前に、自分の田圃の住所と面積が記載されている帳面である。
これだけならば山口池の水に恩恵を受けている田圃であり、いわば土地台帳のようなものであると思う
だけである。
しかし、そして
最後のページに次の内容の文言が書かれている。
達筆であり自分にはすべてを読み取れないが、読み取れる範疇で書き留めてみる。
明治三十九年旧五月
田植え時期に際し、字山口池敷圦破裂したため用水自由にならず、困難な中で田植えを終える
筆者注:圦とは、「いり」と読み、池、水路などの土手に埋めてある水の出入りを調整する樋。
敷圦大破損により池関係者総出合により土俵四百を投し、また南京袋を沈め種々の手段を講ずる
七日間に渉も遂に功なきを以て
圦尻より尺廻りの竹三本を次き頭へ水止めを打付け之を差込み一時水勢いを過半に止め
志摩郡神島村に至り潜水機作業小久保忠蔵外二名を雇い入れ
其請負金額百六十円にて請負はしめ
三日間に成功を告げ干水の上調査するに
鵜の首より奥行二間通りの大破なりため敷圦八間を掘り出し新調す
右請費四百六十円
費用多いため桑田池分離申請により許容する
部頭
委員(6名)
池廻り
とあります。
明治の時代に池の圦が壊れ、神島から専門業者を雇い入れ改修した記録である。
明治時代の1円が今の2万円相当とするならば、調査費に320万円、工事費920万円の大改修で
あったことが推測できます。
明治の時代にそんなことがあったことは語り継がれておりません、これ以上の記録はありませんが
先祖さんのご苦労を胸に入れながら池係任期を全うしようと思いました。
平成29年5月1日
「費用多いため桑田池分離申請により許容する」と言う意味がよく理解できない。
我がふる里の長老格である廣中正美さんに疑問点を伺い、次の話を聞くことができました。
ふる里の田圃は、山口池と新池と桑田池で水利が確保されていた。
現在はゴルフ場ができたり、土地改良事業が行われ山口池のみが利用されている。
明治39年に山口池が壊れて修理費用が多額になる事件が起きたわけであるが、一般にはその受益者に
より負担するわけである。
今回の文書は、申し出もあり桑田池の受益者については、その負担対象から外してもいいと了解したこ
とを書きしるしたのではないかと思われる。
なるほど、納得である。
☆ゴルフ場などまだ出来ていなかった時代の写真を見ると、ため池の事情がよく分かる。
山口池の奥でも耕作していたようである。